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トリスタン・ダ・クーニャ (探検家) : ウィキペディア日本語版 | トリスタン・ダ・クーニャ (探検家)
トリスタン・ダ・クーニャ(Tristão da Cunha、Tristão d'Acunhaとも、1460年頃 - 1540年頃)はポルトガルの探検家、海軍司令官。16世紀前半にマヌエル1世及びレオ10世に仕えポルトガル海上帝国の拡大に貢献した後、枢密院議員となる。 ==1506年の航海==
クーニャは1460年頃ポルトガルに生まれる。1504年に初代ポルトガル領インド副王に推されるが諸般の事情により就任を辞退する。1506年には15隻から構成される艦隊の司令官に就き、アフリカ東海岸及びインド沖合へと航海に出た。この時、従兄弟に当たるアフォンソ・デ・アルブケルケは艦隊のうち5隻の船団の管理に当たった。 この航海は紅海貿易を遮断するべくソコトラ島を征服し、現地に要塞を築くのが目的であった。艦隊はアフリカ東海岸のムスリム都市に攻撃を加えながらソコトラ島を目指したが、クーニャは途中南アフリカから2816km離れた南大西洋上に孤島を発見した。当時海が荒れており上陸出来なかったものの、彼はその島々を自らの名に因み「トリスタン・ダ・クーニャ諸島」と名付けた。諸島発見後はマダガスカルやモザンビーク、バラワを経由して遂に目的のソコトラ島へ上陸を果たした。 1507年に発生したカナノール包囲には、クーニャ率いる11隻の艦隊がソコトラ島からの帰路偶然通り掛かり、陥落寸前であったポルトガルの要塞を解放した。この時の活躍ぶりによりインドでは一躍名を轟かせる存在となる〔''Foundations of the Portuguese empire, 1415-1580'' by Bailey Wallys Diffie p.233 〕。
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